free diary

サウナ好きサラリーマン

組織が大きくなった時に前のようなチーム感がなくなる問題

事業会社に勤める友人から、かつて彼が所属していたチームが、規模が大きくなる(20人->200人)につれ、特に若手メンバーの離職率が上がってきて困っているという話を聞いた。

チームは15年前に作られ、最近では徐々に業界内でも知名度・評判が上がり大型な取引もできるようになり、今では会社の売り上げの中でも上位に食い込む成長を見せているチームのようである。その一方で、若手の離職率が、前よりも明らかに上がってきており、友人の直属のマネージャーはなんとかして離職率を下げようとしているとのことだった。

そのチームは設立当初から、よく仕事しよく遊ぶイケイケなチームだったらしい。辛いながらも楽しく仕事をしている人が多かったということだった。しかし、マネージャーがチームについてどう感じているかのアンケートをとったところ、チームに長くいるメンバーは、(コロナで飲みに行けなくなったということはあるが)特に雰囲気の変化は感じていないものの、若手メンバーは「チーム感」は感じないということだった。

友人の意見でも、雰囲気は昔から変わっていないし、むしろ仕事内容は、ビジネスが拡大していく中で、前よりも色々なことに挑戦できるようになってきているとのことだった。そういった状況から考えられるのは、(他にももちろん離職率が上がった原因は当然あると思うものの)、この「チーム感がなくなった」というのが一つの原因となっているのでは、ということだった。

それが本当に離職の原因になっているかはさておき、その話を聞いて、雰囲気や仕事の内容はむしろプラス方向に動いているのに、なぜチーム感がなくなったのかということが気になっていた。ちょうどその頃、『サピエンス全史』と『No Rules』の2つの本を読んでいたのだが、この本を読んで感じたのは、チーム感の喪失の原因は、単純に聞こえてしまうが規模が大きくなったことによって、チームのイデオロギー的なものが、これまでのやり方では全体に広まらなくなってしまったからではないかと感じた。

 

本文中の細かな表現は割愛するが、『サピエンス全史』の中では、人間が本能的に組織としてまとまることができる人数には限りがあり、それを超えて人間が組織として機能するためには、虚構(国や法律や宗教など)によって共同主観を組織の中で形成する必要があるということが書かれている。

また『No Rules』では、Netflixではチームのメンバーにコンテキストをしっかり認識させることを各マネージャーの明確な使命としており、それによって企業文化が薄まらず能力の高いレベルが保てているというような記載がある。

(記憶を頼りに書いているので誤りがあればご容赦ください)

 

これらの拡大解釈にはなってしまうが、友人の会社のケースを見ると、規模が大きくなり人間が自然に結束できる範囲を超えたにも関わらず、明確な(共同主観的な大きな目的としての)チームビルディングがなされていないがために、チーム感が失われて(というよりは醸成できなくなって)しまったのではないかと考えている。

少ないメンバーの時は、一定のコミュニケーションは当然必要だが、日々みんなの仕事ぶり・チーム全体のゴールが見え、その場が醸し出す雰囲気で自然と結束力が生まれる。一方で、メンバーが増えると全体の仕事ぶりは見えずらくなり、自分が関わる一部分しか意識できず、自分の仕事が歯車のように感じてしまうことがあるのではないか。結果として、会社に残るか離れるかの評価基準が、チーム全体の視点から個人がやる作業の視点に移り変わり、個人の作業が思っていたものと違うと即離職という判断につながっているように推測している。

ではどうするかというと単純で、組織が大きくなった時には、チーム作りを雰囲気に任せることはできないため、チームとしてのメッセージラインを明確に定め、そのコンテキストをしっかりとマネージャー陣からメンバーに根気強く、宗教のように布教していくことが必要になるのではないかと思う。

仕事が大きくなればなるほど、マネージャは管理業務の比率が大きくなってしまうが、1on1などのコミュニケーションの機会を絶やさず、チームが目指すもの、チームのあり方などを定期的に伝えていく。組織が大きすぎてマネージャーが階層的に存在する場合は、下位層のマネージャは上位層のマネージャへの報告に終始するのではなく、しっかりとメンバに対して、上位からのコンテキストを薄めることなく、布教活動をしていくことで、やっと皆が同じ方向を向いたチーム感を醸成できるのではないか。

この他にも、組織が大きくなったらそれに合わせた組織のあり方を再設定する、というようなことも必要かもしれないが、「昔はこうだったのになんか変わってしまったな」という事態にならないようにするためには、テクニカルなことというよりは上記のような地道な活動が必要と感じる。

米国量的緩和のテーパリング政策

FRBは、コロナ下において2020年6月より緩和政策を実施してきた量的緩和の縮小を、年内にも開始しようとしている。コロナワクチンの普及による経済の回復を背景としたものである。

 

量的緩和は、マネタリーベースの「量」を操作することを目的に、FRB米国債などの資産を購入することことによって、市場に大量の資金を供給するものである。コロナ下において、FRBは8兆ドルほどの資産購入をおこなってきた。

 

以前にも2008年のリーマンショックを機に、大規模な量的緩和が行われた。その際の正常化は、

⑴テーパリングの実施

⑵テーパリング後の総資産残高を維持

⑶利上げ

⑷総資産残高の縮小

というプロセスで進められた。

この正常化プロセスに対し、日米金融市場では、株高、長期金利低下、ドル高・円安の動きが見られた。

理論的にはテーパリングにより株価が下がるものの、市場がすでにテーパリングを織り込んでいたため、株価への影響はあまり発生しなかったと見られている。

 

テーパリングの開始タイミングについては、今後のFOMCで議論されていく。直近は9月21・22日である。インフレが進む一方、9月の雇用統計が市場予想をしたまわっている中で、現況をFOMCがどう捉えるかが注目される。

 

一方日本でもワクチン接種が50%を超えてきており、徐々にコロナからの立ち直りが見込まれている。しかし、縮小政策へ移行しようとしている米国に取り残されるように、日銀はインフラ2%回復までは継続的な緩和政策が必要としている。

アベノミクスのような明確な経済政策が見えていない現状で、どのように正常化を行なっていくか、そもそも正常化は当分先(無理)なのか、、、